ケヤキ伐倒~荒挽き終了のご挨拶
11月13日(土)が雨天予報の為11月14日(日)に順延いたしました「ケヤキ伐倒から荒挽き」は無事終了いたしました。
ご参加いただいた皆さまには厚く御礼申し上げます。
ケヤキの堅さにまったく歯が立たたず、作業においては成果というほどの成果はありませんでしたが、今日のチャレンジを通して得たものも少なくありませんでした。やってみた結果うまく出来なかったとしても、とにかくやってみたという事実と出来なかったという事実は確実に経験として蓄積したと思います。
写真は参加者が代わる代わる斧で伐倒を試みるも予想通りというか予想以上にケヤキが堅く、結局専門家のチェンソーの力を借りて伐倒した状況です。
とにかく木地師はスゴイかった。というのが偽らざる感想です。 残した作業は段取りをし直して遂行してまいります。
※ 機械などを使い500年前ではなく現代の作業になってしまったところを記します。
➀ケヤキの所まで車で移動した。
➁チェンソーで伐倒した。
➂車で伐倒したケヤキを里まで運んだ。
➃製材所で帯鋸を用いて板状に製材した。
伐倒前に朝倉椀チャレンジの無事を祈って神事を執り行いました。
2021/11/14。ケヤキ伐倒~荒挽きをいたしました。まずは神主さんにお願いして神事を行いました。当日の参加者の無事と朝倉椀チャレンジの成功をお祈りいたしました。
ケヤキ伐倒
朝倉氏遺跡から出土する上級品の椀に使われたのはケヤキの椀木地。ならばケヤキの椀を作ってみたいと挑んだ「ケヤキ伐倒から荒挽き」でしたが正直、堅くて歯が立ちませんでした。斧で伐倒を試みたものの、結局チェンソーで倒すことになりました。なるほどケヤキは寺社建築など大型建築の構造材として使用されてきただけのことはあると肌で感じました。ブナなどとは違い建材として十分有用だったケヤキ。戦国時代、そういう木材を椀にする時点でケヤキ木地の椀は贅沢品だということが分かります。
大鋸は諦め製材所の帯鋸で
東北など寒冷地になればブナは低山に自生していますが、越前の気候では標高1000M以上だそうです。一方、ケヤキは丘陵地や里地にも自生しています。
近くにあり加工は難しいながらも里地で建築材として絶え間なく加工作業されていたケヤキ。一方、遠く奥山中にあって加工作業はしやすいながらも山中の木地小屋で作業をして運び下ろさなければならないブナ。伐採から里までの運搬を考えれば越前ではブナの優位性は小さくなりケヤキとの差は縮まります。
戦国時代、ケヤキは建築用として伐り出され、里まで下ろされて大鋸などで木挽きされていたとすると、その一部を高級な椀木地に用いたということはないでしょうか。
そこで、確信はありませんが、500年前においてもケヤキ椀木地は途中まで建築用の作業工程を行っていたと想定し、伐採したケヤキは製材所にて2寸5分厚の板に製材してもらうことにしました。
ここから後は椀木地用の工程になります。50客程度を生木のうちに、曲りヨキではなく鋸挽きをして荒型取りし、それをカタブチ、ナカギリの手斧ではなく鑿で削り、さらに手引き轆轤で荒挽きして乾燥させます。
残ったケヤキ板をどう使うかは未定ですが、拭うるし仕上げの長テーブルにでもしようかと思います。小さいモノなら小さい材で作ればいい訳で、大きい材は大きいまま使いたいと思います。白太が少なく堅く詰まった素直な材です。特に思い入れのあるケヤキ材なのでシッカリ活かしたいと思います。
荒型取り。
当日の為に、専門家にシッカリ研いでいただいた曲り斧でしたが「奥会津の木地師」のようにサクサクと溝を削り進むことはできませんでした。バサバサと繊維が飛び散ります。どうやらケヤキに関しては曲り斧での作業は効率が悪く、別の方法で荒型取りが為されていたのではないかと思いました。
カタブチとナカギリ。
この作業も用意してきた手斧がサクサクとケヤキを削っていくことはありませんでした。当然、現代の我々の道具の使い方が稚拙であるために上手く削れないということもあると思います。それにしても堅い。今度はブナで試してみたいです。
令和の手引き轆轤も使用。
令和の手引き轆轤も使用してみました。生木とはいえなかなか思うようには挽けませんでした。ケヤキは確かに堅いのですが、我々の感覚が今の電動轆轤の作業性を標準にしてしまっているので、ことさら大変に感じただけかもしれません。一分間の回転数を計算してみたところ、どんなに上手くやっても現代の10倍の時間はかかると思われます。それだけ椀木地製作は大変だったのでしょうが、その大変さは当時の方々にしてみればアタリマエの大変だったということでしょうか。