朝倉椀お披露目の宴。

令和4年9月25(日)
お披露目の宴 11:30~13:30 
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並み武家屋敷にて

朝倉氏遺跡博物館内覧会14:00~15:00

武家のもてなしの心は日本料理の源

13世紀に永平寺を起こした道元禅師は料理を含めて日常の行いがすでに仏道の実践であると「食」を重要なものとして位置付けて「典座教訓」を書きました。

ここには

食材に敬意を持つ

整理整頓と道具を大切にする

食べる人の身になって作る

ことが大切だと書かれています。

この永平寺の精進料理は室町時代から江戸時代にかけて武家で出された本膳料理に大きな影響を与えました。

 

本膳料理は中国文化の流れを汲む儀式的な側面もありましたが、精進料理の高度な調理技術と日本中から取り寄せた食材を融合させて日本独自の発展を見せます。

 

この会の献立を考えるにあたり、様々な文献を紐解くなかで触れた朝倉氏のもてなしの心に、現代に繋がる日本料理の源流を見た思いがします。

 

一乗谷で栄華を極めた朝倉家の贅を尽くした饗宴の雰囲気を味わっていただくため、当時食べられていた食材や調理法をもとに、現代を生きる私たちが美味しいと感じるお料理に再構築しました。

 

朝倉氏遺跡から出てきた漆器を再現した朝倉椀を使ってお召し上がりください。朝倉氏の豪奢なおもてなしの心に触れていただけたら幸いです。

 

てのしま 林亮平


献立 

①     初献

あわび蕎麦の実和え

「敵に打ち勝ち喜ぶ」というゲン担ぎで戦国武将は勝栗、打ち鮑、昆布を三宝として好みました。ここでは鮑を当時朝倉氏が一乗谷で栽培を奨励していたといわれる蕎麦の実と鮑を合わせて前菜に仕立てました。

 

鯛昆布締め、煎り酒

当時は鯉や鯛といった白身魚のお造りを煎り酒で食べていたそうです。煎り酒とは日本酒に梅干しを入れて煮詰めた調味料で室町時代に考案され、醤油が普及する江戸中期まで広く用いられました。

 

ささげ赤飯

赤い色が邪気を払うとされていたため、室町時代にハレの席に赤飯がふるまわれるようになりました。小豆は皮が破れやすく「切腹に通じる」として武家では避けられ、小豆の代わりに皮が破れにくいささげを用いていたそうです。

 

雉と里芋の味噌仕立て

鷹狩りで鷹にとらせたキジは「鷹の鳥」と呼び、最高のもてなしのごちそうとされたそうです。見せるためだけに首付きで台の上にのせて宴席に飾られたりもしました。

 

②     二献

鱧の魚羹と松茸の御汁

魚羹は中国から伝わった調理法で、つみれのようなものです。当時からごちそうとされていた松茸とあわせました。

 

③     三献

まながつおの味噌漬け焼き
 文献に見られるまながつおは日本海にはいない魚ですが、塩漬けか味噌漬けにして運んだものだと想像できます。今回は味噌で漬けこんで焼き物にしました。

 

④     四献

干し鱈と茄子の煮物
 タラは遠く北海道から運ばれていました。今回は季節のなすと併せて煮物に仕立てました。ナスは奈良時代にはすでに日本で栽培されていた最古の野菜の一つで当時は貴重なものでした。

⑤     五献

塩引き鮭のあいまぜ

新潟村上から運ばれていた塩引き鮭も宴席に欠かせないごちそうの一つでした。秋鮭を一塩漬けにして熟成させたのち、適度に塩抜きをして干したものです。大根・人参・柿と和え物にしました。

 

唐墨

起源は地中海とされ、中国経由で室町時代に日本に伝わりました。足利将軍が天皇に献上していることや、武家の饗宴の記録に頻繁に登場することから当時から最高の珍味として食べられていたようです。

 

⑥     六献

鮎早なれ寿司

朝倉家御成記のなかに見られる「疋田すし」は、当時鵜匠が鮎で作っていた早なれ寿司の一種で、室町時代から明治時代頃まで作られていたそうです。今回は食事の〆にふさわしいよう棒寿司に仕立てました。

 

⑦     お菓子

栗きんとん射込み干し柿と大徳寺納豆
 室町時代はまだ砂糖が普及していなかったため、干した果物が一番の甘味でした。栗と合わせてデザート代わりにしました。

⑧     抹茶

 

⑨     お土産

兵糧クッキー 

 

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